「どんな問いをたてるか」、によって人生は変わるいいます。人の脳は、問いを立てると自然に答えを探しに行くとも言われています。例えば、「世の中には赤い車が何台いるか」という問いを立てた瞬間、無意識のうちに街に走る赤い車を探し始め、赤い車のことが気になるようになります。ニュートンが、気から落ちるリンゴをみて万有引力の法則を発見したこととも似ていますね。「問い」というのは、とても重要なことです。
日々生活していると、いろいろな問いが浮かびます。私は色々と考えやすい性格なので、特にです。
「問い」そのものに情報価値はあるか
ブログに関して言うと、なんらかの問いがあったとしても、それに対する自分なりの答えがあるときだけ、ブログにしていました。以下のような記事はその例です。
逆を言うと、自分なりの答えが出せない問いは記事にはならず、ただ生まれては消えていく道を辿っていました。記事にしない理由は、「情報価値がない」と思ったからです。
問いを記事にする
何を問うかによって人生が変わるのなら、問いそのものにも何らかの価値はあるのではいか。何かしらの気づきや思考のきっかけを与えることができるのではないか。受験勉強だって、解説書だけでなく問題集だって売れているじゃないか、と。少なくとも、自分自身には何らかの効果がありそうな気がします。今後は答えのない「問い」自体も記事にしてしてみたいと思います。
今のところ私の中にある問いは
・「やりたいけど、やってないこと」は、結局好きなのか、好きじゃないのか
・「主体的である」とはどういうことか。フォロワーは主体的か。
・「悲しみの気持ちを一緒に感じて共感すること」と「悲しんでいるということを理解して寄りそうこと」はどちらがいいのか。
まとめ
「問い」だけの記事に情報価値はあるのか、ということ自体も、問いですね。今まではこういう問いも、人知れず生まれては消えていっていました。でもこういうエントリーを書くことによって、何かしら答えに近づくような気がします。少なくともブログの場合は、アクセス数という形で何らかの反応が返ってきますね。ちょっと試してみようと思います。