仕事でミスをしたり、人間関係がうまくいかなかったりした時、とかく過去の自分の選択を後悔してしまいがちです。
「あの時しっかり確認していれば、こんなトラブルにはならなかったのに・・・」
「あの時あんなこと言わなければ、喧嘩別れにならなかったのに・・・」
そして後悔には、いやーな感情が伴いますね。悔やむ、という言葉自体に、負の感情の要素があります。
後悔はしたくないものです。
というか、
そもそも後悔って必要なのでしょうか。
後悔しても過去は変わらない、という以上に、
後悔なんて、ただの自分をいじめているだけです。
後悔とは
後悔、を辞書で引くと、
[名](スル)自分のしてしまったことを、あとになって失敗であったとくやむこと。
(引用:goo辞書)
つまり、過去の自分の選択を失敗であるとし、その選択をした自分を責めることです。
過去の選択を失敗とみなすということは、裏を返せば、他の選択をすれば自分の望む結果になったということです。「〜しなければよかった。」という後悔は、「そうすれば、○○だったのに」とセットです。
「〜しなければ、○○だったのに」は妄想です
「〜しなければ、○○だったのに」の○○は本当でしょうか。
「しっかり確認すれば、間違いに気づいたのに、、、」
しっかり確認しても、気づかなかったかもしれません。
しっかり確認したら、今は気づいてはいない、気がつかない方がいいもっとヤバイことに、気づいてしまうかもしれません。
今回間違ったからこそ、次にもっと重大な間違いに気づけるかもしれません。
「あの時素直に謝っていれば、喧嘩別れにならなかったのに、、、」
素直に謝っていてたら、もっと激しい喧嘩になったかもしれません。
喧嘩別れにならなかったことで、その人からもっと酷い仕打ちをされたかも知れません。
「〜しなかった」ときの未来は存在しません。だから、その未来がどんなものだったかは絶対にわかりません。だから、「○○だったのに」は妄想にすぎません。
妄想を盾に責められる自分
「〜しなければよかった。」という後悔は、「そうすれば、○○だったのに」とセットだと言いましたが、このセットにはもう1つの要素がついてきます。それが、「〜してしまった自分はダメなやつだ」です。
あの時しっかり確認していれば、こんなトラブルにはならなかったのに・・・
自分は注意力のない、ダメなやつだ
あの時あんなこと言わなければ、喧嘩別れにならなかったのに・・・
自分は一言多い、ダメなやつだ
後悔には、自己否定がつきまといます。
でも、ちょっと考えてみましょう。
後悔の前提となっている、「○○だったのに」は、ありもしない妄想です。
ありもしないことを根拠に、自分を責めているのです。
ありもしないことを根拠に、自分はダメなやつだと言って、落ち込ませているのです。
これはもう、自分いじめです。かわいそうです。もう止めましょう。
関連記事
「エニアグラム 自分のことが分かる本」を読みました | わくわく冒険ライフ