「相手の立場になって考える」と「相手の気持ちなって考える」は違う

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「もっと相手の立場に立ってみよう」
とか
「もっと相手の気持ちになってみよう」

という言葉をよく耳にしますが、この2つは別物であるにもかかわらず、混同して使われています。「相手の立場に立つ」ことは大切です。そして、さらに大事なのは「相手の気持ちになる」ことです。

相手の立場に立つことと、相手の気持ちになることの違い

例えば、同僚が食堂で一人でランチを食べているのを見つけたとします。

「もし自分があの人の立場だったら、寂しく感じるな」

と思い、声をかけてあげることは、相手の気持ちになって考えている、と言えるでしょうか。

一見、寂しい、という相手の気持ちになっているように見えますが、これは相手の気持ちにはなっていません。なぜかと言うと、この場合は相手の立場に立った時の自分の気持ちを想像しているに過ぎないからです。その立場になったときに、自分は寂しいと感じるかも知れませんが、相手が自分と同様に寂しいと感じるとは限りません。始めの例で言えば、一人が好きな人は、寂しいとは感じておらず、むしろ一人で食べたいと考えているかも知れません。

相手の気持ちになるとは、自分がその立場になったときにどう感じるかではなく、あくまでも相手がどう感じているのかを想像することです。

では、そのために必要なことは何でしょうか。

自分の価値観ではなく相手の価値観で考える

相手の立場で相手がどう感じているかを想像するために必要なことは、自分の価値観ではなく相手の価値観で考えることです。

例えば仕事において、やり甲斐を大切にするのか、効率性を大切にするのか、結果を大切にするのか、人への貢献を大切にするのか、仲間との和を大切にするのか、ということです。

自分は「やり甲斐」を大切にする人だったとして、部下にやり甲斐のある役割を与えたとします。でも、それを聞いた部下はイマイチ浮かない顔をします。相手の立場に立ってみて、「自分が部下だったら、こんなにやり甲斐のある仕事、喜んで受け入れるのに。浮かない顔をするなんて、おかしいんじゃないか?」と考えるのは、相手の立場にたって、自分の価値観で判断しています。実は部下は、仲間との和を大切にする人で、仲間の一人がその仕事を任されたがっているのを知っていて、その人との和を心配しているのかもしれません。あくまで、その人の価値観からみてどう感じるのか、が大切です。

相手の気持ちを、ただ受け入れる

相手の気持ちを批評せずに、ただ受け入れることも、相手の気持ちになるためには大切です。相手がある出来事にひどく悲しんできたら、悲しいという相手の気持ちをただ
受け入れます。仮に自分がその立場になっても自分にとっては悲しいことでなかったとしてもです。

ついつい励ますつもりで、

「そんなこと、大したことじゃないよ。気にするなよ」
とか
「むしろチャンスで喜ぶべきことだよ」

と言ってしまいそうですが、それは相手の気持ちを理解し、受け入れたあとの話です。まずは相手の気持ちに寄り添います。

相手の立場に立ち、相手の価値観を尊重し、そこから生まれる感情に寄り添うことが、大切です。

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