仕事でもなんでも、何かを始めようとするとき、例えばブログを始めかけている今、終わりの姿を考えてしまう癖があります。
「もしこれが結局楽しめなかったり、読者が増えなかったりして上手くいかなかったら、時間が無駄になるのではないか」という考えが頭をもたげます。
こんな言葉も脳裏をよぎります。
梯子をかけ間違えれば、間違ったところに早くつくだけ。
(スティーブン・コヴィー「7つの習慣」)
これを悪くとらえて、「登ろうとしている梯子が間違っていたらどうしよう」とか考えてしまいます。
そんなときは、次のようなことを自分に言い聞かせます。
①梯子の先に何があるかより、今梯子を登っていたいか
野球が好きな少年は、ただバットを振っているだけで楽しい。きっとそういう少年は、将来プロ野球選手になります。
プロ野球選手になりたくて、そのために嫌々素振りをしている少年は、プロ野球選手にはなれないのでしょう。
②どの梯子を登ったら楽しいかは、登ってみないと分からない
梯子を登ったときに、ワクワク感がこみ上げてくるか。それは、登らないと分かりません。
この道を行けばどうなるものか。
危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。
(アントニオ猪木)
使い古されて、なお色褪せない言葉。
③登ることが楽しければ、どこかにたどり着かなくても、それでもいい
私の好きなMr.Childrenの歌詞。
地平線の果てにたどり着いても、新しい地平線が広がるだけ。
「もうやめにしようか?」
自分の胸に聞くと、
「まだ、走り続けたい」
と、返事が聞こえたよ。
(Mr.Children 「Gift」より)
まあ、とりあえずやってみよう
ツナゲルアカデミーででた、心理セラピスト大塚彩子さんの名言です。
「間違い」はない。あるのは「違い」だけ
「だから、とりあえず、梯子、登ってみようよ」と自分に言い聞かせます。
少し登ってみて楽しくなかったら、やめればいい。
登り続けても、間違った場所にはたどりつかない。それぞれ違う場所に辿り着くだけ。
だから、とりあえず登ってみよう、と。