川崎市民という生き方

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気付けば、川崎市に住んで30年以上。子供の頃、宮前区に3箇所。そのあと、中原区で1人暮らし。その後、数年の都民生活の後、麻生区。そして再び宮前区。

さすがにそらそろアイデンティティもついてきました。

そこで、川崎市民あるあるを幾つか。あくまでも、私の独断です。

住んでいる場所を聞かれたら、駅名で答えます

どこに住んでるの?と、聞かれたときに、「武蔵小杉です」「新百合ケ丘です」「溝の口です」と、駅名で答えます。

なぜかというと、川崎市は細長く、かつ川崎市を結ぶ電車は南武線しかないので、あまり川崎駅から近くないのです。

でも、「川崎です」って答えると、川崎駅を思い浮かべられてしまい、「私、鶴見なんですよ。お近くですね」とか言われちゃうんです。

だから川崎駅近辺以外の川崎市民は、駅名で答えるのです。

フェイスブックでは、なぜか狛江とでます。

フェイスブックに投稿するときって、チェックインじゃないときは、大まかな場所が出ますよね。私のは今まで家とか近所とかで投稿したとき、川崎、と出た記憶がありません。なぜか、東京都狛江市、もしくは東京都世田谷区、とでます。川崎市民的には、ちょっと気に障ります。

東京から来ました

旅行に行くと、旅先で出会った人に「どちらから来られたんですか?」と聞かれますよね。川崎市民は、「東京から来ました」と言います。

なぜかというと、

「神奈川県からです」は答えにくい。神奈川県って、横浜も湘南も箱根も神奈川県なんです。ちょっと漠然としていて、答えられた相手からも困ってる感が伝わってきます。

でも、「川崎です」というと、先ほどの問題があるばかりか、知らない人も多いです。かといって、「横浜です」は、絶対ない。一体感のない川崎市民ですが、横浜より東京に近いというプライドを持っていることだけは共通しています。

なので、東京から来ました、と答えるのです。いいんですよ。東京ディズニーランドも千葉なんですから、川崎市民が東京から来ましたって言ったって、嘘つきではありません。

フロンターレ川崎に感謝しています

川崎にはかつて、プロ野球チームがありました。川崎球場をホームとするロッテオリオンズ。ですが、千葉ロッテマリーンズになってしまいました。

川崎にはかつて、Jリーグチームがありました。キングカズや武田、北澤、ラモス瑠偉などのスター選手が在籍した、ベルディ川崎。ですが、ベルディ東京になっていまいました。

川崎市民の心には、これらは大きな傷となって残っています。

だからこそ、フロンターレ川崎に感謝するとともに、いつまでも川崎にあれと願っています。