今日の答えのない問いは、「有意義な体験」についてです。
有意義な体験と無意味な体験、というのはどういうものなのでしょう。そもそも、そんなものあるのでしょうか。
例えば、今私は新幹線で大阪に向かっています。ゴールデンウィーク初日の新幹線は、二、三日前には指定席が軒並み売り切れ状態だったため、自由席に座っています。
座っています、と簡単に書きましたが、超混雑のゴールデンウィークの新幹線の自由席に座るのは大変でした。東京駅で1時間以上待つことで、席を確保できました。
あらかじめ、もっと前から旅行を計画していれば、すんなりと指定席を買って、今頃は大阪でお昼ご飯にお好み焼きを食べられていたはずです。しかし、東京駅での待ち時間のため、大阪に着くのは夕方になってしまいました。
さて、この東京駅での経験は、「時間の無駄」、「無意味な体験」でしょうか。
以前の私であれば、こう考えていました。 「まったく、時間を無駄にしてしまった。なんでもっと早くに計画しなかったんだろう。相変わらず、自分は手際が悪いやつだ」と。
でも、今日はこう考えることにしました。
「ゴールデンウィーク初日、超混雑の新幹線で1時間以上待つという体験をすることが出来た」と。
実際、この体験をネタにこうしてブログも書いていますし、待ち時間にはガイドブックを熟読することが出来ました。また、次にゴールデンウィークに新幹線に乗るときは、あらかじめ指定席を取るか、覚悟を持って自由席に座るかにするでしょう。
こう考えると、無駄な時間、無駄な体験というものはなく、確実にあるのは「体験」であり、それに自分でどう意味付けをするかなのではないかと思いました。
体験への意味付けと関連して思いつくのは、「問い」と「価値観」です。
「問い」については、いわゆる有意注意の話です。木からリンゴが落ちるのを見ても私は何も感じませんが、ニュートンはそれを見て万有引力の法則を発見したわけです。私とニュートンの違いは、体験の違いではなく、何を問うているかの違いです。
「価値観」については、自分が何を大切にしているかということです。私は「充実感」を大切にしている(求めている)ので、電車の待ち時間をブログを書いたり、ガイドブックを調べたりという時間に使いました。(そもそも、充実感を求めているので、こういうテーマの記事を書いているのかもしれませんが、、、。)安らぎを求めている人であれば、待ち時間を利用して、心地よい音楽を聴いたかもしれません。
体験をどう解釈するかには、何を問うているかというのとと、何を大切にしているかが影響してくると思います。ということは、体験を有意義にするためには、自分が何を問うているかとか、自分が何に価値観を置いているかを把握することが大切になってきます。それを把握することで、より体験に有意義な意味付けをできるのではないかと思います。
以上、答えのない今日の問いでした。