お釈迦様は、生まれてすぐに「天上天下唯我独尊」と言ったと聞いたことがある。「この世で自分が一番偉い」という意味であろう。でも、最近、この言葉の自分なりに解釈するようになった。
いつから自信をなくしたのか?
心屋仁之助さんが、ある講演でこんなこと言ってた。
「自信がない」とは、「自」分を「信」じてない。
「自分が何でもできる」「自分は大丈夫だ」ということを信じられないことを自信がない、という。
自分が素晴らしい人間だということを信じられないということは、自分は別のことを信じている。
何を信じているか?自分はダメな人間だ、ということを信じている。だから自信がない。
では、いつからそんなことを信じているか?
赤ちゃんの頃は、自分は自信がないとは思っていない。
生まれてから今までの間に、自分は素晴らしくないということをどこかでうっかり信じてしまった。
これを聞いたとき、ふとこんなこと考えた。
天上天下唯我独尊
もしかして、私を含めた誰しもが、生まれたときは「天上天下唯我独尊」と思っていたのではないか。「この世で自分だけが」というと、どこか傲慢な感じに聞こえるが、考えてみれば、生まれたその時はまだ「社会」というものと何も繋がっていない。生まれたばかりの赤ん坊にとっては、自分自信が天上であり天下であり、唯一の人間である。そこから他者とのつながりを持つなかで、徐々に、自分にとっての「世の中」が広がっていくのだ。
つまり、生まれたその時に言った「天上天下唯我独尊」とは、つまり「自分は素晴らしい人間だ」ということであり、これはお釈迦様だけでなく、誰しもに当てはまることなのではないか。
そして、お釈迦様の偉いところは、生まれたときに持っていた自信を、大人になって再び取り戻したことなのではないか?それが、「悟り」をひらくというkとなのではないか。
随分と根拠のない考えだとは思う。
でも、自信を取り戻したい私は、心のなかでつぶやく。「天上天下唯我独尊」。自分は素晴らしい人間である、と。